勝てるコーチが「よいコーチ」なのか?
WINGSPANのメンバー半数の3名は卓球指導に携わっている。そのため日常的に卓球指導関連の本が出ると一様に同じ本を買っているケースが多い。高島規郎さんの「卓球戦術ノート」や、近藤欽司さんの「魅せられて、卓球」、宮崎義仁さんの「日本卓球は中国に打ち勝つ」、橋津文彦さんの「橋津文彦の強豪チームであり続けるために」、下川裕平さんの「卓球の教え方の教科書」その他、水谷選手等の有名選手の著作や、有名選手の親の著作などなど。
指導者は当然、卓球指導という競技に特化する専門的な知識を得ようとするが、一方で多くのスポーツ指導者のひとりであるとの意識を持つことも必要に思える。そんなことを痛切に感じた一冊を紹介したい。佐良土茂樹さんの著作「コーチングの哲学 スポーツと美徳」
どのような内容かを章ごとのタイトルだけでも抜き出してみたい。
佐良土茂樹著「コーチングの哲学 スポーツと美徳」
序 章:美徳なきコーチングの時代
第1章:コーチングを哲学する
第2章:善いコーチを考えるために
第3章:目的論から考える善いもの、勝利至上主義、スポーツの意義
第4章:コーチの「幸福」とは何か
第5章:コーチングの技能
第6章:「思慮」をもつとはどういうことか
第7章:コーチに求めらられる「人柄」とは
第8章:コーチとアスリートの関係性ー友愛と人間観
タイトルだけでも非常に興味深くはないだろうか。本書を読むうえでキーになるのが、ギリシャ哲学であるが、哲学やギリシャ哲学に詳しくなくても、非常にわかりやすく解説がされているため心配する必要はない。私が特に印象に残った部分について引用したいと思う。
「関係者の勝利至上主義による圧力」
【勝利至上主義の問題点としてスポーツに関わる私たちが考えておく必要があるのは、コーチ自身ではなく、関係者が抱いている勝利至上主義がコーチから徳や卓越性を奪ってしまう可能性があることや、コーチが劣悪な手法を採用せざるを得ない状況に追い込んでしまう可能性があることである。(一部省略)勝っているからという理由”だけで”コーチを賞賛するのはある種の「勝利至上主義」である。】
関係者の勝利至上主義による圧力によって卓球指導者の徳や卓越性が犠牲になりかねないという指摘である。非常に興味深い。なお、コーチが勝利至上主義についてどう考えれば良いかというテーマは本書のハイライト部分でもあるため、勝利至上主義という考え方について肯定する立場の指導者も、否定する立場の指導者も、どちらでもないという指導者も、興味があればぜひ一読いただきたい。また、後半ではアスリートではないものの棋士の羽生善治さんの言葉が記されている。
「”指し手の美しさ”と”有徳な行為の美しさ”の類似性」
【羽生は、「将棋の指し手を決める時の大事な要素の一つに、型の美しさがあります」と述べている。この美しさにはいくつか種類があり、「陣形としての伸びやかさやバランス、進展性を考慮した美しさ」と「一局面だけではなく何十手も動いてきた手順としての美しさ、流れについての美しさ」があるという。(一部省略)さらに、羽生は「決して勝負を度外視するわけではないですが、自分の納得できる手が指せた時には、たとえ負けても満足できます」とも語っている。(一部省略)「美しい手」こそがこの満足感を与えてくれると言い、「毎回毎回、泥仕合では、嫌になってしまう。理想というか、ロマンティックな要素がどこかにあったほうがいいと思います」と語っている。】
将棋は、よく卓球競技についての説明の際、引き合いに出される言葉(正確にはチェス)であるが、ここでの羽生さんの言葉は、卓球競技にも通じる部分が多いように思える。
「善いコーチ」に興味がおありの方、春の宵に本書をお読みいただくことをお薦めしたい。ギリシャ哲学入門本も併せて読めば、一層、理解が深まる事でしょう。